コラム「少年のように」

#17 「断捨離」



 「断捨離」という片付けの仕方があります。自分を軸に考えて、目の前にあるモノを要るか要らないか心の奥底に問いかけて、捨てていく、やり方。
 「断捨離」というのはヨガの精神に基づいています。「断行」「捨行」「離行」というのがあり、自分の体から悪い気を「断ち」「捨て」「離す」ということ。それを片付け術に応用している、というような解釈をしています。(合っているのかなぁ)
 モノ基準に考えると「もったいない」とか「まだ使える」と“言い訳”してモノがなかなか捨てられない。だから自分を基準にして「好きか嫌いか」「要るか要らないか」と考えていくと、嫌いだったり必要なしと思うものは捨てられる。そうやって、溜めに溜めていたモノが一気にゴミになって捨てられて、部屋がすっきりして、心もすっきりする、んだってさ。「断捨離」を始めたらダイエットに成功したとか、いい人に巡り合えたとか、そういう人がいるらしい。なんだか凄いな。
 実際に「断捨離」の精神で片づけをしてみたら、あら不思議。モノがどんどん捨てられます。自分も皆さんと同じように「まだ使える」とか「いつか使うかも」とかいう“言い訳”を使ってモノを溜め込んでいました。そうそう、よく「捨てられネーゼ」って言われてました。すっきりした引き出しの中を見ると、清々しい気持ちになります。何年も放って置いたものは要らないんですよね、ポイポイゴミ箱に入れていきました。特に自分の部屋には紙が多くて、昔描いたイラストなんかは、ひっどい絵も残していたので、捨てました。よくもまぁ、こんな酷い絵を後生大事に取っておいたもんだ、と思いながら。

 「断捨離」を知る前から、部屋の片付けをして死期に備えなくては、と思っていて、実は「死後、他人に見られて恥ずかしいもの」みたいな基準で片付けをしようと思ったこともあります。学生時代のイラストや文章や日記や、酷い内容のものがたくさんあるのです。汚点ですよ、しかし青春かもしれない。でもやっぱり人に見られるのは嫌なので、棄てましょう!棄てましょう!
 終活については、また別の機会に話すとして。

 目指すは「断捨離して心も体もスッキリ!裕かな人になる」です。自分の大切にしている言葉のひとつに「心を裕かにする」というのがあります。ゆとりがあることです。ゆとりがある人はおおらかで人を許せます。そういうカッコイイ奴を目指して、日々ちょっとずつ「断捨離」やっています。



2010.08.30 結