コラム「少年のように」

#14 「1を聞いて10を知る」



 最近良く妹がこんなことを言います。
「想像力だよ、想像力!」
 言葉足らずな文章を聞いても、“想像力”で理解しろ、ということらしいです。しかし、そんなことを言う妹は、僕が言った少々言葉足らずな台詞を聞くと、「ヤンキー言葉だ」と言うのですが(本人曰く、主語を言わない話し方は「ヤンキー言葉」らしいです)。

 日本には「1を聞いて10を知る」という、暗黙の了解のようなスタイルがあります。多くを言わないことを美徳とした日本の伝統と言ってもいいと思います。無口でただ微笑んでいる人が美しい、と言われる事もありますね。
 しかし、それはお互いの「擦り合わせ」が在って初めて成り立つものであって、意思疎通が出来ていないのに、「解れよ!」なんて言われても無理な話です。こういうこと、よくありませんか?

 自分の嫌いな言葉に「それって常識でしょ」というのがあります。その言葉を言う人は、相手を見下して、「そんなことも知らないの」とでも言いたそうに言うのです。そんな事を言われたときには、「どこの世界の常識だよ」と心の中で反論しています。ローカルルールですら世界標準のように語る人がいるとげんなりしてしまいます。
 でもそれを言う人達と言うのは、「言えば相手は解ってくれる」という暗黙の了解を信じて疑っていないのでそう言うのです。とは言え、伝わっていないのであれば、その言葉は力の無い、ただの単語の羅列に過ぎません。

 ちょっと反れてしまいましたが。伝えることを疎かにしてはいけません。「1を聞いて10を知る」事が出来ていた時代は、人と人の繋がりがとても密であったのです。擦り合わせも充分に出来ていたからこそ成り立っていた美徳です。繋がりも擦り合わせも無いのであれば、10を言わなければ解ってもらえない、という前提で話すべきなのです。

 これは自分への戒めでもあります。やっぱり、言わなくても良いかな、と伝えることを疎かにしてしまう時があります(その原因はやっぱり人間関係。話しかけるのが辛いのです)。でも、自分にとって良い方はどちらか考えたら、面倒くさくてもうざったくても、逐一話す事ですね。


 話すことで絆を深め合っている人達を見ると、本当に羨ましく思います。対話することが大切だと解っていて、喧嘩になっても相手に自分の想いを伝える。そしてお互いを理解する。そんな関係を築けたら素敵です。



2010.08.05 結