コラム「少年のように」

#04 「いじめや児童虐待の話」



 最近、いじめや虐待で子どもが死んだというニュースを良く見ます。先日も、クラスでハブられた女の子が自殺して、大きなニュースになりました。悲しいですよね。
何が許せないって大人の対応だよ。虐待をするのは親や身近な大人だし、学校はいじめを隠すし、なんだか子どもが可哀相すぎる。
子どもの出生率が少なくなって、親の目が子どもに行きやすくなったのか、最近の親は虐待するかモンスターペアレントになるかのどっちかって感じ。どちらにも愛情が大きく孕んであるのは分かるけれど、その愛し方はちょっと間違っているような気がするな。

 明治時代に日本に来た外国人は、子どもの笑顔に驚いたらしい。アメリカの学者は「世界で日本ほど子どものために深い注意が払われる国はない」と書き残したそう。そんな風に言われていた日本の、今の子どもは何かを諦めて、大人ぶった態度を取っていてふてぶてしい顔だな、と思うこともあるけれど、悲しいニュースを自分と同じように見ているのなら「大人って」と思ってふてぶてしくなるのも仕方が無いかな。

 大人が正しい事と正しいと認識できる前に親になって、その親に子どもは育てられるから、モンスターも虐待もいじめも増えてるんだよな。
 あ、でもいじめは昔と比べると減っているという統計が出ているらしい。ただ、苛め方が変わってきていて、昔は友達内とかクラス内とかご近所内とか狭いコミュニティの中でしか苛められなかったのに、今はインターネットが普及して、グローバルなレベルで誹謗中傷を浴びせられたり、恥ずかしい映像をを流されたりして、傷がより深くなっているらしい。これは日本だけじゃなくて世界で大きな問題になってる。

 幸いな事に、自分はいじめに遭ったことはない。親には散々叩かれたけれど、躾と認識できるレベルだし、酷い事をされたと思ったことはない。ムカツく!と思うことはしょっちゅうあるけれど。だから2つの問題に関しては想像するしか出来ないけれど、広い心で余裕を持って生活できれば、愛し方を間違えたりいじめたりしなくなるんじゃないかなぁ。そんな簡単な事じゃない?でも物事って実は案外簡単なんだと思う。

 「自分と違う事」を受け入れる余裕。コレが中々手に入らない。お互いに許しあえればいじめも喧嘩も戦争もなくなるし、無意味な死もなくなる。自分はそう思っています。



2010.10.26 結