コラム「少年のように」

#01 「9・11」



 「9・11」ってもう9年前の事なんだ。
 新聞の社説をみてそう思ってしまった。曖昧な記憶の中では高校生だった気がするのだけれど、9年前なら14歳。そんな昔の事なんだ。
 「昔の事」なんて言ったら、アメリカの人に怒られてしまうかも。彼らにとっては十分に「今」なんだよね。日本人の、しかも子どもの自分にとっては「遠い国のことで、なんだかよく分からない事件」だった。自分の身近に感じられた時と言えば、ベースで働く父が、会社に行くときにちょっと大変だったってことを聞いたくらい(チェックが厳しくなってたとかそういう話)。それでも大きなビルから火と煙が出ていて、中に人がいて助けを求めているという映像を見たときは、衝撃を覚えた。怖いと思った。

 「9・11」で3000人の人が犠牲になって、戦争が起こってもっと沢山の人が命を落とした。何十万と言う数の兵士や民間人。何でこんな事するんだろう。「戦争は何も生まない」ってみんな解っているのに、世界中から戦争はなくならない。

 他人の考えを認められないから戦争が起きるんだと、自分は思う。偏見がいじめを生み、いじめが争いになる。自分が住む世界にどんな人がいてどんな哲学が存在するのか、理解して認めてあげればいいと思うのだけれど。

 なんて、言うだけはとても簡単。そう言いながらも自分だって他人の考えを認めてあげられないし、悪態もつくし、ちっとも平和的な人間じゃない。
 殊勝な事は言えないんだ。でも、戦争で傷ついた人の話を聞くと、やっぱり無い方が良いと思う。

 キリスト教を扱ったオペラをするんだけれど、何もキリスト教を布教する為にやっているわけじゃない。それらのオペラを作った石多エドワード氏は曰く「無宗派」で、それぞれの宗教の考え方は殆ど同じなんだって言う。捉え方の問題で、大切な事は「神はここ(傍)にいて、見ていてくださるのだ」と信じる事なんだって。そこに政治や権力、お金などが絡んできたせいで色々こじれてしまって、宗教戦争なんかが起こったという話。
 宗教戦争は「神」という後ろ盾を借りて、勝手に正義ぶってるんだと思う。本当はそんなの誰も望んでないのにね。「神様に喜ばれる」ことが何なのか、ちゃんと見極めなくちゃ。と、自分は思います。
 






 それにしても、中学2年生という年は、自分にとって人生で一番忘れてしまいたい1年間だったのだけれど、その年に翔さんは「世界で何が起こってるんだ」って、もう世界に目が向いていて、「報道の仕事に携わる」という道の入口に立って居たんだと思うと、5歳の年の差って凄いなと思う。(結局此処に行き着いちゃった)



2010.09.16 結